ときむすびは二つに一つ

※「ときむすび」はmiconoが作った造語で水引コミュニティの名前にもしているものです。コミュニティでは、水引とひとりひとりの日常(ケ)の取り組みを見つめ紐解いていくことをしています。今回は、コミュニティ内で発信している記事をシェアしてみました。

水引を結んでいると、上か下か、右か左か、というような常に二つに一つの選択を積み重ねて形ができていくことに気付きます。 

例えばあわじ結び。
最初に作る雫型の交点で左右どちらを上にするかで、表になるか裏になるかが潜在的に決まりますね。次に、左側をしごいて雫型の上に添えるか下に添えるか、右側をしごいて左側の手先の後ろを通すか前を通すか、穴に下から入れるか上から入れるか、、

あわじ結びの手順

と全ての選択があわじ結びに向けて選ばれていった時に、実際に形となって現れます。うまく絡んでくれない時は、どこかで選択を誤ってるのでそこに気付いて単純にもう一方を選択し直せばいいわけです。 

これは複雑な結びになっても変わらないし、構造だけでなく扱い方にも言えるし、結びに限らずあらゆる事において毎瞬毎瞬、無数の二択を選び続けた結果が現実なんじゃないか。っていう、これは私の捉えている仮説だけど…この世界は突き詰めるとデジタル。

気がベースにあるあらゆる東洋思想は易(えき)に通じ、易の64卦もたった二つの気(陰陽)の組み合わせで全てできています。イメージ的にはトーナメント図の上から陰か陽かで無数の可能性が枝葉のように広がっていく感じ。その選んで通る道が今風に言うと世界線とかパラレルとも言えるかもしれない。

というと訳がわからなくなるかもしれないですが…
要は何が言いたいかというと、つい難しく感じるようなことも、落ち着いてひとつひとつの事象をみていくとどれもシンプルに二択でしかない。水引ってその事をとても分かりやすく感じられるものだなと思うのです。

そのように考えてみると、水引毬飾りのようなちょっと複雑なものも、やり方がわからないようなことも、プライベートな問題も、なんだか紐解いていけるような気がしてきませんか?

いつも上手くいかないことがあったら、これまでと違うもう一方を選択すればいいだけかもしれない。

一つ一つの選択を、自分のハートに従って、これまでの自分に打ち勝って、選ぶ。これがまた、簡単なようでできないんだけど…

これってまさに「ときむすび」だなぁと、今回はこんな話を書いてみました。

日常生活や人が関わってくるほど複雑になるのでしょうが…まずは水引と向き合う時にちょっと意識してみると、何かが変わっていくかもしれない。